日立乗越クラブ
先般、矢嶋作郎没後百年記念植樹を、兼務する祐綏神社で行いましたが、
その一連行事の関係で、下松にある「日立乗越クラブ」にお邪魔する機会を
いただきました。
矢嶋翁が、晩年過ごした下松市乗越の敷地は、後に東洋鋼鈑や日立製作所の
工場となり、日立さんはそのご縁からクラブの中に矢嶋家別荘の一部を
移築されています。
日立のゲストハウス 乗越クラブ玄関
すばらしい中庭 桜も丁度見頃でした
毛利家家紋が刻まれた大阪城築城の石
親交の深かった伊藤博文公の扁額
この度は、ここで会食をしながら、一首歌を披露するという趣向がありました。
矢嶋翁は、下松で「明月会」という歌の会を主宰し和歌をたしなみ余生を送り
ましたので、歌を詠みましょうということでした。
これには皆さん「弱った弱った」と言われながらも、すばらしい歌を詠まれ、
和やかに盛り上がりました。
私も拙き歌ながら、「日本の電気事業の父」である翁を偲びました。
矢嶋作郎没後百年
海わたる八嶋づくりの志 ふる里に今灯りをともす
新しい国(やしま)をつくる志で矢嶋作郎と改名し英国に渡った翁。
その志は、日本に電灯を灯したのみならず、没後百年の今
ふる里の人々の心に灯りをともしたように思います。
また、当日配られた矢嶋作郎の歌から一首をご紹介します。
宝
宝てふ黄金も玉もなにかせむ 大和こころぞ宝なりける
勤王の志士であった矢嶋翁の生き様が伝わります。