日本に後藤はいないのか
新型コロナウィルスの感染拡大が深刻です。
今は、各自が家庭や職場でできることを日々行い、一日も早く感染者が減少傾向になってくれることを祈るばかりです。
春の祭典も、集まられる方に配慮し、どのように斎行するか苦慮しています。
1日の月次祭は行事を省略して行いました。10日の児玉神社例祭にあたっては、狭い拝殿に参列してもらうのを避け、来宮された方から順に昇殿して拝礼してもらい、後に責任役員のみの参列で祭典を行うこととしました。
これからの祭典についても対応を検討中ですが、春を迎えての祭りや行事がことごとく縮小や中止となると、経済も心も落ち込みますねえ。
さて、中国で発生した新型コロナウィルスの感染対策に国を挙げて取り組む中、検疫で国内外から高く評価された後藤新平の活躍が思い出されます。
今から125年前の日清戦争後、コレラなど伝染病が蔓延する中国大陸より帰国する23万人の兵士を検疫するという非常事態に抜擢されたのが、医師であった後藤新平です。
後藤は、広島に大規模な検疫所を開設して陣頭指揮にあたり、3カ月で23万人の検疫を行いコレラ患者を隔離し、この大事業を見事に成し遂げました。
そして、その働きが陸軍検疫部長であった児玉源太郎の目に留まり、後に児玉が台湾総督となるや後藤を民政長官に抜擢し、台湾での「児玉・後藤政治」が行われることになったのです。
コロナ対策に手を焼く今の日本の様子を見て、台湾の人々が「今の日本に後藤はいないのか」と言ったと聞きます。
児玉と後藤が生きていたならば、この非常事態にどう対処したのでしょうか?