回天烈士慰霊祭
先の対戦で人間魚雷回天を搭載した「伊58潜水艦」に縁の方々が、毎年春、回天基地のあった大津島にて慰霊祭を行われるようになって今年で19年を迎えた。
これまでは、小高い山の上にある「回天記念館」前庭の慰霊碑前で行ってこられたが、昨年船着き場の近くに「回天神社」が創建されたので今年は神社にて斎行された。
当日は雨になる予報で、初めて神社で行うということもあり、お手伝いの必要もあろうと、数年ぶりに職員を伴い参列してきた。
この慰霊祭を19年続けてこられたのは、毎年斎主を務められる京都・瀧尾神社の佐々木宮司さんの熱意と、伊58潜水艦関係者の真心だと感じる。
英霊顕彰や回天に心を寄せられる方々が全国各地から参列され、地元からは「回天顕彰会」の方々も参列されている。
伊58潜水艦の橋本以行艦長は、戦後、京都・梅宮大社の宮司となられ慰霊に心を砕いて過ごされたという。
ご子息の橋本以裕宮司さんは欠かさず参列しご挨拶をされ、孫である権宮司さんも毎年祭員として奉仕される。
また、元乗組員の方も年々少なくなり今年は1名となったが毎年参列してこられた。
来年は20年の節目。より盛儀に行われるようお手伝いできればと思う。
3月の休日、回天神社の下見に行った時の写真。「大津島回天神社」創建の経緯は概ね次のようである。
大津島回天基地には、戦時中、楠公(楠木正成)を祭神とする「回天神社」と名付けられた木製の祠があり、隊員たちは必中祈願をして出撃して行った。戦後その祠は、島の氏神神社である山﨑八幡宮へ預けることとなった。
また「回天記念館」の開館と同時に、回天烈士の御霊を祀る霊璽三体(104柱)が安置されたが、後に市営の施設となったため同じく山﨑八幡宮へ預かってもらう事となった。
平成28年に帝人徳山事業所が撤退することとなり、工場内の白浜神社の祭神である遠石八幡宮分霊と回天烈士分霊を、遠石八幡宮と山﨑八幡宮へお返ししたいというとなり、これを契機に山﨑八幡宮と回天顕彰会が中心となって霊璽を島に返そうと「大津島回天神社」の設立が検討されるようになった。
その後、大津島住民から土地寄贈の申し出があり、さらに回天に思いのある資産家から大口の寄付があり、帝人(株)を始め地元企業などの支援もあって、地元黒髪御影を使った石造の神社が建立された。神社は山﨑八幡宮の末社となり、本殿の中には元の回天神社の木製の祠、その中には回天烈士の霊璽が祀られている。