神前法楽
以前より親交のある般若寺の福嶋弘昭住職から、「明治維新150年の年に神前法楽を遠石八幡宮の神前で行いたい」との熱心な思いを受けて何度も打ち合わせを重ね、
本日「神前法楽(しんぜんほうらく)」が行われました。
「法楽」とは、神前で仏式のお勤めをすることによって神様を喜ばせることだそうです。
まず、参道下の洪鐘(こうしょう)が、おそらくですが150年ぶりに突かれました。
鎌倉時代に鋳造の鐘の音を、私自身初めて耳にしました。
鐘を合図に参進。法螺貝の勇ましい音が境内に響き、荘厳な空気に。
神前で一同お祓いを受け、私が奉告の祝詞を奏上し、福嶋住職に合わせて拝礼。
福嶋住職の呼びかけで、真言宗の僧侶の方を中心にご縁のある皆様23名のご奉仕。
般若心経の力強い大合唱は、八幡様も懐かしく聞し召されたことでしょう。
奉仕者と参列者で記念撮影。 「ハイ、坊~主」って掛け声、よかったなあ~
わが国は、仏教伝来以降、神仏習合(しんぶつしゅうごう)、神も仏もという信仰が長く続いてきました。
神としては八幡大神、仏としては八幡大菩薩。このお宮でも、神職が神事を、僧侶が仏事を行っていた時代が長くありました。
厳格な一神教の国では考えられないことでしょう。
それは、八百万の神々をまつる神道にも、様々な仏像やお経のある仏教にも、両方に多様性、寛容性があったからだとも言われます。
神の道、仏の教え、として区別しながらも、今も神様も仏様も大事にするのが、日本人の心ではないでしょうか。
日本が、「神も仏も無い」、希望の無い国になってはいけません。
最近の様々なトラブルの中に、人々の心に寛容さが無くなってきてはいないか?と感じる時があります。
そんな思いも福嶋住職の思いと一致し、神前法楽を厳粛にご奉仕いただいて、意義ある一日であったと思っています。