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徳山七士

児玉神社の境内に、「徳山七士碑」があります。
徳山七士とは、幕末の徳山藩で尊王攘夷派として活躍し殉難した7名の勇士、
児玉次郎彦、本城 清、江村彦之進、河田佳蔵、浅見安之丞、信田作太夫、井上唯一です。
その一人児玉次郎彦は、児玉源太郎の義兄にあたります。
児玉家は、源太郎が4歳の時に父半九郎が亡くなったため、姉の久子に浅見家から次郎彦が
養子に入り家督を継ぎました。
源太郎は8歳で藩校に入り、文学を本城 清、槍術を浅見安之丞に学びましたが、
とりわけ文武に秀でた次郎彦の影響を大きく受けて育ったといいます。
次郎彦は藩や藩校で活躍し、尊王攘夷の志士達とも深く交わり奔走した一人でした。
1864年(元治元)「禁門の変」で長州が敗れるや、保守派が台頭し藩内の勢力は一変。
攘夷派の抹殺が企てられ、児玉次郎彦と江村彦之進は暗殺、河田佳蔵と井上唯一は
処刑されます。
翌1865年(元治2)、本城 清、浅野安之丞、信田作太夫も処刑されてしまったのです。
若き有望な藩士が7人も命を奪われたことは、藩内のみならず萩本藩にも大きな衝撃を与え、
その後藩論が攘夷派に転ずるきっかけともなっていきます。
やがて攘夷派が藩の政権を回復すると、藩主元蕃公は七士の家を復興させました。
そして明治21年には、藩主の願い出により七士は靖国神社に合祀され、地元には
七士の功績を称える「徳山七士碑」が建立されました。
その後七士には、従四位が贈られます。
また児玉源太郎も、幼少の頃最も影響を受けた義兄次郎彦の非業の死を悼み、
暗殺された生家の跡に「贈従四位児玉次郎彦君遭難之跡」という碑を建立しています。
このように、徳山七士の殉難は幕末における長州の大事件でありました。
今年は、徳山七士殉難より150年を迎えます。
「志に燃え立ち上がった青年達の命がけの行動」、が維新の原動力と言われますが、
この徳山七士も、また松下村塾の塾生のほとんども、幕末の志士達の大多数が
「明治」を見ずに命を落としていることを偲びたいものです。
                                参考 小川 宣著「児玉源太郎と徳山」
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          児玉神社境内の「徳山七士碑」
 

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