神も仏も
もうすぐ6月30日。
早くも、今年一年の折り返し点を迎えます。
30日は16:00から「夏越の大祓式」(なごしのおおはらいしき)
を行います。午後は、茶菓の接待もしております。ぜひご参列下さい。
さて、今日は、平生町の般若寺さんから15名のご参拝をいただきました。
般若寺さんには、家内の両親がかねてよりご縁があったのですが、加えて、
以前に真言宗の若手僧侶の皆さんの研修会に私が招かれたことがありまして、
般若寺の福嶋住職さんとのご縁をいただいています。
福嶋住職は、子供のお宮参りも七五三も神社にお参りします、という若いのに
きちんとしたお坊さんなんです。
今回は、「参拝の仕方や神社のことを詳しくお話し下さい」というリクエスト
でしたので、正式参拝を含めて1時間ほど説明をさせていただきました。
そして、参拝後に読経も。
神前での読経は、ご住職以外皆さん初めての経験ではなかったかと存じます。
しかし、昔はそれが普通の時代もありました。
明治以前にさかのぼれば、「神様も仏様も姿が違うだけで元は同じ」という
「神仏習合」という信仰がありました。
八幡宮のご祭神は「八幡神であり八幡大菩薩である」ということです。
遠石八幡宮は、元に朝倉八幡と称した時代があり、ここ朝倉山には十二の宿坊が
あったと伝えられ、真言宗園通寺「五智輪坊」の名もあります。
社僧と神主の両方がお仕えしていたことも、神社の釣鐘の銘に、その両方の名が
刻まれていることからもわかります。
日本人の信仰は、「神か仏かでなく、神も仏もである。」と言われます。
こうした神仏を共に敬う心が、日本人の大らかな民族性の源のような気がします。