戦没者慰霊祭
昭和20の今日、5月10日は徳山大空襲のあった日です。
徳山湾は、周囲を島に囲まれ、水深の深い天然の良港であったたことから、
戦時中に海軍の燃料廠がありました。
呉で造船されたあの「戦艦大和」も、徳山で給油し沖縄に向かったそうです。
当時、大和が入港していたことは、軍の機密事項ですから、地元の人は知らなかったようです。
米軍は、5月10日には約800機、7月26日には約100機という大規模な、
空爆攻撃をこの徳山に行いました。
この攻撃によって、海軍燃料廠と市街地のほとんどが焼き尽くされ、
多大な死者と負傷者がでました。
多くの市民が、この無差別攻撃によって命を奪われましたが、
中でも、5月10日の空襲で、燃料廠に勤労動員されていた徳山中学(現徳山高校)の学生4名も
命を奪われ、7月26日の空襲では、当時の羽仁市長が市役所で公務中に戦死されています。
太平洋戦争末期の米軍は、民間人をも巻き込む、戦争法違反の攻撃を、
日本各地で繰り返していたことでしょう。
合併により周南市となっても、歴史的に5月10日が戦没者慰霊にふさわしい日であることから、
毎年、追悼式と慰霊祭が行われます。
慰霊祭は、神道式と仏教式が交代で行っており、今年は神道式にて行なわれ、
市内の神職14名でご奉仕しました。
こうした慰霊行事を通じて、戦没者、英霊に感謝する心を伝えていかなければいけません。
私たち神職も、慰霊祭のご奉仕を通じて、意を強くするところです。
戦没者、英霊への感謝の気持ち無くして、民族の幸福も、国の繁栄もありません。
豊かで平和な独立国家日本が、今こうしてあるのは、
尊い命を捧げられた方々の犠牲の上にあり、そのお陰に他ならないのですから。