八幡宮写真 八幡宮について
   由緒御祭神文化財影向石
八幡宮写真 由緒
 推古天皇三〇年(六二二)の春、「この地に跡を垂れ国民を守らんとここに顕わる」との宇佐八幡大神のお告げによりご神霊を奉安し、和銅元年(七〇八)この地に社殿を造営したのを創建とします。
平安時代には京都の石清水八幡宮別宮となり、 本朝四所八幡の一つとも称されました。
江戸時代には毛利徳山歴代藩主の崇敬篤く、祭礼には諸国からも多くの参詣を集め門前は賑わいました。
その後も周防国の大社として信仰は広がり、明治時代の社格では県社となり、現在も八幡大神のご神徳を仰ぐ人たちの参詣が絶えません。

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八幡宮写真 御祭神

  応神天皇は、父仲哀天皇ご崩御の後、生まれながらにして第十五代天皇となられ、その腕が弓を射る時に手首につける「鞆」のようにたくましいことから「誉田別尊」と称されました。
大陸の文化・技術を取り入れ新しい国づくりをすすめられ、武徳の霊験はもとより、文教の祖神、興業の守護神として崇められる八幡大神の主神であります。 神功皇后は、応神天皇の母君としてご内助の功多く、懐胎の御身にあって戦を征されるなど、安産を始め母子の守護神としても崇められています。 三女神は、天照大御神がお降しになった宗像三女神で、 別名「道主貴」とも呼ばれる「道」の守護神で、海上・交通の安全や武芸の道に霊験ありと崇められています。
よって八幡大神のご神徳は、厄除開運・家内安全・交通安全・事業発展・必勝・安産など広大無辺であると称えられているのです。

●応神天皇[おうじんてんおう] ・ 誉田別尊
ほんだわけみこと

●神功皇后[じんぐうこうごう] ・ 息長帯比賣命
おきながたらしひめのみこと

●三女神[さんじょしん] ・ 田心姫命
たごりひめのみこと
・ 多伎津姫命
たぎつひめのみこと
・ 市杵島姫命
いちきしまひめのみこと

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洪鐘写真 周南市文化財・洪鐘

源平の戦と洪鐘(周南市文化財)

銘文には、源平の戦で流れ矢が鐘に当たり音が悪くなり、正和五年(一三一六)に新たに一鐘鋳造したが、音色が思わしくないので、元応二年(一三二〇)二口合わせて一鐘を鋳造し直したとあります。
鎌倉時代前期の特徴を表した美しい鐘で、周南市の文化財に指定されてます。


影向石写真 影向石

遠石と影向石

影向石(えいこういわ)社伝に、往古宇佐八幡より神馬にて飛来され磯辺に現れた大石に降り立たれた際のお告げに、「あゝ遠し」とあり、遠くよりこの石に飛来されたことに由来するとされています。 この石は神社の西方の飛び地にあり、影向石として地元に人に崇拝されています。また、沖に大石があったからという説や、十名石があったからという説もあります。


祐綏神社 ゆうすいじんじゃ

 鎮座地 :
〒745-0851
周南市大字徳山5854番地の7
祭神 :
毛利就隆公 もうりなりたかこう
毛利元蕃公 もうりもとみつこう
主要祭典 :
例祭(4月3日)
境内神社 :
御霊社(徳山毛利家代々の神霊)
由緒沿革 :
徳山藩家中一同の要望により、文化8年(1811)、徳山藩主毛利氏が創建した。当社は、初代藩主毛利就隆公を祀り、後に明治維新の藩主元蕃公を併せ祀り、明治31年(1898)郷社に列した。社号は「獲神祐以綏万民」という一文に由来するものである。
宮司 :
黒神直大
児玉神社 こだまじんじゃ

 鎮座地 :
〒745-0851
周南市大字徳山4009番地の3
祭神 :
児玉源太郎之命
(こだまげんたろうのみこと)
主要祭典 :
例祭(3月10日)
由緒沿革 :
祭神の国家に対する偉大な功勲を敬称仰し、誕生地に大正12年(1923)、地元有志の発起によって創建された。昭和8年(1933)県社に列する。
宮司 :
黒神直大
貴布祢神社 きふねじんじゃ

 鎮座地 :
〒745-0804
周南市大字粭島177番地
祭神 :
神 たかおかみのかみ
神 くらおかみのかみ
主要祭典 :
例祭(旧6月10日)に近い日曜日
境内神社 :
恵比須神社
境外神社 :
龍神社
特殊神事 :
御輿海上渡御(例祭)
由緒沿革 :
不詳(旧無格社)。
宮司 :
黒神直大