御由緒
古くは平安朝の時代から
多くの参拝者が訪れる
有数の神社として親しまれてきました。
緑に囲まれた高台に広がる境内は、
市街地とは思えないほどの
自然と静けさに満ちています。
そんな遠石八幡宮の由緒や
歴史をご紹介いたします。
御由緒
推古天皇30年(622)の春、「この地に跡を垂れ国民を守らんとここに顕わる」との宇佐八幡大神のお告げによりご神霊を奉安し、和銅元年(708)この地に社殿を造営したのを創建とします。
平安時代には京都の石清水八幡宮別宮となり、 本朝四所八幡の一つとも称されました。
江戸時代には毛利徳山歴代藩主の崇敬篤く、祭礼には諸国からも多くの参詣を集め門前は賑わいました。
その後も周防国の大社として信仰は広がり、
明治時代の社格では県社となり、
現在も八幡大神のご神徳を仰ぐ人たちの参詣が絶えません。
文化財
遠石八幡宮の「本殿」「幣殿」「拝殿」「祭器庫」「神饌所」「透塀」「神門および袖塀」「手水舎」の8件が、国の文化審議会の答申により2013年12月24日に登録有形文化財に登録されました。
洪鐘
源平の戦と洪鐘(周南市文化財)
銘文には、源平の戦で流れ矢が鐘に当たり音が悪くなり、正和5年(1316)に新たに一鐘鋳造したが、音色が思わしくないので、元応2年(1320)二口合わせて一鐘を鋳造し直したとあります。
鎌倉時代前期の特徴を表した美しい鐘で、周南市の文化財に指定されてます。
影向石
社伝に、往古宇佐八幡より神馬にて飛来され磯辺に現れた大石に降り立たれた際のお告げに、「あゝ遠し」とあり、遠くよりこの石に飛来されたことに由来するとされています。 この石は神社の西方の飛び地にあり、影向石(えいこういわ)として地元に人に崇拝されています。また、沖に大石があったからという説や、十名石があったからという説もあります。